山田美妙、という作家を知っている人がいたら、かなり文学に通暁している方だと思います。
それほどまでに彼はマイナーで、国語の授業でも、本屋さんでもめったにお目にかからない作家。かろうじて国語の資料集に載っているかもしれない程度です。
尾崎紅葉や坪内逍遥と肩を並べ、当時の売れっ子作家だった山田美妙。
しかし、素行の悪さから世間の反感を買い、次第に拒絶されていきます。
それが原因で現代まで名前が残せなかった、とまでは断言できませんが、もしそうであれば彼は「世間に葬られた作家」といえるかもしれません。
なんとなくミステリアスな雰囲気が出てきましたね。
ここからはいよいよ、彼の人物像や作品について解説していきます!
山田美妙の人物像、生涯
山田美妙は1868年、「山田武太郎」という名前で生まれました。
尾崎紅葉や夏目漱石と幼馴染であり、また周りに文学の素養を持つ大人が多かったことから、幼い時から文学になじみのある生活を送っていたようです。
その後は友人の尾崎紅葉や石橋思案たちと「硯友社」という文学結社を立ち上げ、「我楽多文庫」という雑誌を創刊しました。
『武蔵野』『夏木立』などの名作を世に放ち、作家として大きな名声を得ることになります。
一見順調に作家街道を歩んでいったようにも見えますね。
しかし彼は文学界の問題児でもあったようです。
茶屋の娘に子を産ませ「作品の題材にしたかった」と言ってみたり、挿絵に裸体の女性を載せたりと問題続きで、徐々に世間から受容されなくなっていきました。
作家としての素質十分、しかし自身の性格が原因で自滅してしまったというわけです。
文学活動を簡単に解説
山田美妙の作品や作風、文学史上の功績などは現在あまり知られていません。
しかし、美妙が活躍した当時は彼の作品は大人気であり、現在の彼の境遇はあまりに耐えがたいものです。
ここからは彼の生涯の活動を掘り下げつつ、「作家としての山田美妙」を追っていきます。
硯友社を設立する
彼の文学活動のプラットフォームとなったのが、彼が10代で設立した「硯友社」という文学結社です。
創立メンバーには『金色夜叉』や『多情多恨』といった大ベストセラーを発表した尾崎紅葉の名前もありました。
我楽多文庫を刊行
「我楽多文庫」は山田美妙や尾崎紅葉が中心となって刊行していた雑誌です。
小説、詩、短歌、川柳といった多様な作品が掲載されました。
『南総里見八犬伝』を著した滝沢馬琴(曲亭馬琴)の作風を模した作品が掲載されたり、当時は真新しかった言文一致体で書かれた作品が掲載されていたりと、なかなか尖った雑誌だったようです。
『武蔵野』を出発点とする言文一致運動
知名度では劣りますが、山田美妙は「二葉亭四迷」と並んで言文一致の先駆者と呼べる存在です。
言文一致体とは、「だ、である」という文体で書かれた作品のこと。
普段使っている話し言葉で書かれているので、文字さえ読めれば教養がなくても小説を楽しむことができます。
当時は書き言葉と話し言葉がまだまだ区別されていましたが、二葉亭四迷や山田美妙によってその垣根は壊され、新時代の扉が開かれます。
二葉亭四迷は小説『浮雲』で、山田美妙は小説『武蔵野』で、それぞれ言文一致の作品を発表しました。
少しだけややこしいのですが、『浮雲』は日本初の言文一致の小説、『武蔵野』は日本初の言文一致の新聞小説です。
つまり、『武蔵野』は新聞に掲載された小説の中では初めて、というわけ。
「なんだ、新聞小説としては初、ってそんなのインチキじゃないか」と思われるかもしれませんが、この頃はまだ明治時代。
今のようにkindleで本なんて読めませんし、発達した物流もありませんから、本屋もあまり品ぞろえはよくない時代。
その点、多くの人の目に触れる新聞小説というのはかなり存在感が大きかったんですね。(ちなみに、夏目漱石の「吾輩は猫である」をはじめ、多くの有名作品が新聞小説でした。)
そんな時代に、初の言文一致の作品を掲載したわけですから、当時の読者からすれば「毎日の習慣で新聞を読んでいたら、なにやら読みやすい文章の小説が載ってるぞ。」という衝撃があったかもしれませんね。
そういう意味では、山田美妙って結構すごいでしょう。
山田美妙の代表作
ここまで、山田美妙の作風や人物像について詳しく解説してきました。
彼が言文一致の使い手で、文学の世界で名声を得た人気作家であることはお分かりいただけたかと思います。
しかし、彼はあくまでも作家。重要なのは「書かれた作品は実際に読んでみて面白いのか?」という点です。
ここからは学問的で難しいことは抜きに、気楽に語っていきます!
代表作『武蔵野』
あヽ今の東京、昔の武蔵野。今は錐も立てられぬ程の賑はしさ、昔は関も立てられぬほどの広さ。今仲の町で遊客《うかれお》に睨付けられる烏も昔は海辺四五町の漁師町でわづかに活計《くらし》を立てヽ居た。今柳橋で美人に拝まれる月も昔は「入るべき山もなし」、極の素寒貧であッた。実に今は住む百万の蒼生草《あおひとぐさ》,実に昔は生えていた億万の生草《なまくさ》。
という書き出しで始まる『武蔵野』。
現代の僕らからすれば決して読みやすい文章ではありませんが、ほぼ同時期に公開された二葉亭四迷の『浮雲』と比較すれば随分読みやすいでしょう。
ただ、話の内容や雰囲気的な面では、どうにも文明開化前の戯曲的、芝居的な面が抜け切れていないように感じます。
また、室町時代の内乱を題材にしている分、明治の作品でありながら時代背景は室町時代なので一層なじみにくいかと。
現代の僕らが読みこなすには、読み手の教養や馴れが不可欠かもしれません。
ただ、山田美妙が『武蔵野』を発表した当時は大衆に受け入れられたようで、弱冠19歳で書き上げたこの作品で一躍流行作家の仲間入りを果たしました。
【私見】山田美妙という作家について
代表作『武蔵野』で名誉名声を手にして、文壇に登場した山田美妙。
しかも新聞小説初の言文一致小説というおまけつき。
間違いなく、彼は天才なのでしょう。
しかしその後努力を怠り、世間の反感を買って文壇から孤立。
黙々と努力を続けてきた尾崎紅葉に大きく水を空けられてしまいました。
因果応報、と言ってしまえばそれまでですが、「もし真面目に文筆活動を続けていたら...」と思うと少し残念にも思えます。
正直彼の作品はあまり読まれておらず、ネットでさえ簡単には手に入りませんが、もし気になったら彼の作品を読んでみて下さい。