坪内逍遥をご存知でしょうか。
それまでメジャーだった勧善懲悪の話にこだわらず、あるがまままに小説を書く写実主義を提唱し、森鴎外と没理想論争を繰り広げた写実主義の代表格。
彼はまた、シェークスピアの熱心な研究者でもありました。
そんな坪内逍遥の人物像と代表作を、この記事で迫っていきます。
坪内逍遥の提唱した写実主義とは?
写実主義はフランス発祥
写実主義は実はフランスから発展した考え方で、その後すぐにヨーロッパで普及しました。
これは芸術として過剰に思想的になっていた当時の文学に対し、現実に起こっていることをあるがままに書き起こすことを主張した思想です。
坪内逍遥はイギリスで文学について研究していた経験があるので、日本ではまだ浸透していなかった海外の思想をもたらすことができました。
日本における写実主義
写実主義以前の日本文学は勧善懲悪をテーマにしたものが多かったのですが、坪内逍遥はその垣根を壊し、世の中の様子を美化せずに小説を書きました。
また、坪内逍遥のほかに二葉亭四迷も同じ時代の写実主義者として有名です。
森鴎外と「没理想論争」を繰り広げた
坪内逍遥は、自身が創刊した「早稲田文学」という雑誌で、森鴎外と「没理想論争」と呼ばれる文学論争を繰り広げました。
「没理想論争」とは逍遥の写実主義に対する森鴎外の反論です。
森鴎外は浪漫主義作家であり、理想を重視した作家だったのです。
「理想の鴎外vs現実の逍遥」という図式がここに完成したのですね。
シェークスピアの研究者としても高名
先ほど一瞬触れましたが、逍遥はイギリスに文学を学びに留学していました。
シェークスピアの研究をするためです。
日本に帰国した後もシェークスピアの作品の翻訳を手掛け、『沙翁全集』というシェークスピア全集を完成させました。
逍遥は小説のみならず演劇でも活動するなど、シェークスピアの影響は彼の人生にとって決して小さなものではなかったのです。
坪内逍遥の代表作
作家として日本文学史に大きな功績を残した坪内逍遥。
彼の作品を紹介しないことには始まらないでしょう。
先に断っておきますが、彼の作品はそこそこ手に入りにくく、大きな本屋さんでないと置いていない可能性があります。
それだけマニアックとも言えますが、明治の文学史に詳しくなりたい方は読まずには通れないでしょう。
①『小説神髄』:日本初の小説評論
坪内逍遥の代表作で、日本初の小説評論となったのが『小説神髄』。
当時、海外では小説は文化として認められていましたが、日本ではまだまだ発達しているとは言い難い状況でした。漢詩文や和歌と比べて位が低かったのです。
少し前まで趣味としては肩身の狭かったマンガやアニメが近年、社会的に認められて文化として受け入れられたのと同じですね。
その状況を覆そうとして発表されたのが『小説神髄』で、写実主義的思想が詰め込まれており、後半には小説の技法が論じられています。
②『当世書気質』:写実主義を実践した小説
決して有名な本ではないので実際に置いてあるかはわかりませんが、岩波書店から出版されています。(岩波書店は本当になんでもありますね・・・)
これは写実主義にのっとって書かれた小説で、自身の体験をもとに当時の世の中について写実的に書いた小説です。
まとめ
坪内逍遥の作品は他にもあるにはあるのですが、かなりマニアックになってしまうのと、ネットですらなかなか手に入りにくいので割愛しました。小説ではないですが、戯曲『桐一葉』なども代表作に加えてもいいかもしれません。興味のある人は読んでみてください。
今回は坪内逍遥をテーマに、写実主義や文学史など結構学問的な部分に踏み込んだ記事になりました!
簡単にまとめると
- 明治時代の写実主義作家
- イギリスでシェークスピアなどを学んだ
- 思想的には森鴎外と対立、二葉亭四迷と一致
- 翻訳、演劇など幅広い活動
- 代表作は『小説神髄』『当世書気質』
少し難しいですよね。僕も調べながら書いた部分があるのでいい復習になりました。
ちなみにこのあと写実主義は自然主義へと飲み込まれるように変貌を遂げます。
その筆頭となったのが『夜明け前』『破戒』で有名な島崎藤村。
彼についてもまとめた記事があるので読んでみてください。