なんとなく、大仰なタイトルをつけてしまったんですけども、要は、弁当ってなかなか怠け者にはつらいものですよねって話です。
今現在、僕は大学2年生。
熊本から出てきて一人暮らしをはじめ、もう2年目が終わろうとしている。
男子大学生は大抵食事の用意に苦労すると言われるが、自分の場合はそこそこ真面目に自炊しているつもり。
それでも、一つだけ問題というか、改善したいポイントがある。
「弁当持っていこうと思ってるのに、なかなか作れていない」という問題だ。
家での料理はできるのに、なぜか、弁当は作れない。
作ろうという熱意がない。
前日の夜に米を研いで、おかずも仕込んで、副菜を作って...という直前のところまで準備していることも何度かあったけど、いざ朝起きて弁当を作る段階になると体が動かない。ベッドが僕を離さない。
なんでだろう。
いくつか原因を考えてみた。
- 睡眠時間が足りておらず、眠い
- 朝、寒い
- 米炊くの面倒
- 水筒作るの面倒
- 弁当箱洗うの面倒
- 弁当文化への敬意の欠如
このうち、
- 睡眠時間が足りておらず、眠い
- 朝、寒い
は、当然の対策として、早寝早起きと、冬は起床前に暖房をつけるという方法で解決した。
- 水筒作るの面倒
- 弁当箱洗うの面倒
これらは本質的なものでないような気がする。
作り終わってから面倒くさがるのならまだしも、作る前から事前に面倒くさがるなんてお上品なこと僕にはできないからだ。
- 米炊くの面倒
これは正直大きいな、と思ってしまった。
というのも、僕は自炊のこだわりとして、土鍋で米を炊くようにしている。
炊きこみごはんなども作りやすいし、日本人の主食であるお米が、土鍋で炊くことにより料理の主役になれるということの恩恵は大きい。
また、炊飯器はレンジのようにできることがたくさんあるわけではないし、冷蔵庫のように必須アイテムということでもない。
だから、炊飯器自体は別にいらないのだけど、ただ弁当を作るうえでは土鍋は大きなビハインドを抱えている。
「炊飯の予約ができないこと」だ。
つまり、どんなに事前に準備をしたとしても、お米を炊くのにかかる20分、これが最低でも弁当作りにかかる時間になっている。
これは弁当作りの上では大きな問題点になっているといってよいだろう。
でも、もっと大きな問題が僕の未来を阻んでいることに最近気づいた。
これはもしかしたら、僕の人生をどん底にまで叩き落す要因になりかねない。
その要因とは...
- 朝ごはんの欠食の常態化
である。
もともと、一人暮らしを始めて真っ先に取り組んだのが朝ごはん改革だった。
実家にいたころも、当時高校生だった僕は、自分で目玉焼きなどを作って少しでも充実した食生活になるよう工夫していた。
なぜか。
朝ごはんこそが、最も人生を豊かにしてくれるものだと確信していたからだ。
そしてそれは、一人暮らしのスタートと共に本格化した。
まるで小鳥が小さなかごから解き放たれるように。
僕はごはんを土鍋で炊く。
事前に浸水しておいた米を、強火にかける。
しばらくすると、ごはんの甘く豊かな香りがキッチンに漂う。
土鍋でごはんを炊く魅力。
それは、ごはんの香りが、食欲をそそること。
朝ごはんを作りながら、食べるのが待ち遠しくなる。何物にも代えがたい贅沢。
平行して味噌汁を作る。
土鍋を火にかけたら、今度は鰹節を削る。
そう。
僕は、鰹節を削るのだ。
本だしなんて使わない。
ごはんの香りと、鰹節の香りが、「ああ、朝だな」と感じさせる。
それが毎日の、朝仕事。
丁寧に朝食を作ることで、一日の活力を蓄える。
ただ、最近そのルーティンが崩れてきた。
朝を欠食するようになったのだ。
これですべてが崩れたような気がする。
弁当を作る丁寧さを失ってしまった。
- 弁当文化への敬意の欠如
もう一つ大事な要因がこれだと思う。
そんなに弁当好きじゃない。
朝ごはんはずいぶんこだわってやってきたけど、弁当はそんなに大事じゃない。
弁当というのは外国にはそれほど浸透しておらず、日本人が発達させてきた重要な食のシステムなのは重々承知しているが、やっぱり出来立てで食べたほうがおいしい。
弁当ってそこまで燃えないのよ、なんでかな。
でも、弁当作れると栄養も管理しやすいしお財布にも優しいし、ぜひ作れるようになりたい。
なので、とりあえずの目標はこれ。
自分が美味しそうだと思える弁当のスタイルを確立する。
それを丁寧に作る。
それでうまくいきそう。