島崎藤村、彼は時代とともに生きた人物でした。
-明治5年に生まれ、大正、昭和と3つの時代を経験した彼は、常に時代の先端に居て文学の未来を切り開き続けます。
今回は、その「島崎藤村」にスポットを当て、彼の魅力と作品について知って頂きます。
人物:島崎藤村
簡単年表
【図】
短命な作家が多い中で、比較的長く作家活動を続けていたことが伺えます。
浪漫主義と島崎藤村
藤村の文学人生の第一ステージは、「浪漫主義文学」という土俵でした。
学生時代に文学に目覚め20歳で女学校の教師に就任し、雑誌『文學界』に同人として参加していく中で浪漫主義運動に触れます‘。
北村透谷と島崎藤村
就職した女学院で、藤村は北村透谷と出会います。
透谷の評論『厭世詩家と女性』は、藤村に絶大な影響を与えたようです。
とりわけ恋愛、芸術、人生といったテーマや鋭い批判には心を動かされており、透谷をモデルとした作品をいくつか残しています。
しかし、藤村が22歳の時に透谷は自ら命を絶ち、藤村は衝撃を受けます。
浪漫主義詩人としての作品『若菜集』
北村透谷との出会いや、『文學界』での活動の中で、藤村は浪漫主義的文学の道を歩みます。
その結実とも言えるのが、若干25歳の時に発表した『若菜集』。
この記事を読んでいる読者さんも、国語の授業で名前を聞いたことがあるのではないでしょうか。
現代でも有名な作品ですが、出版された当時も反響は大きく、近代的な詩の幕開けとして若者の共感を得ました。
この『若菜集』は藤村の代表作の一つとなります。
自然主義と島崎藤村
その後、藤村は詩から小説へと活動の幅を広げます。
『破戒』の発表と夏目漱石
田山花袋との研鑽
藤村の苦悩の告白小説『新生』と姪との不義