『多情多恨』『金色夜叉』など、明治のベストセラー小説を生み出した天才・尾崎紅葉。彼が36歳で急逝するまでに文壇にもたらした功績は数多く、幸田露伴と共に「紅露時代」と呼ばれる一時代を築くなど、明治に最も読まれた小説家でした。
彼の作品は今でも読まれ続けており、特に彼の代表作『金色夜叉』に登場するお宮、寛一の名シーンは文学になじみのない方々にも広く知られています。
そんな尾崎紅葉の人生や文学的な偉業、代表作について詳しく本記事で解説します。
尾崎紅葉の文学人生
尾崎紅葉の文学者としての人生は短いものでした。
しかし、その短い人生を濃い密度で生き抜いた人でもありました。
帝国大学を中退した後、日本初の文学結社「硯友社」を発足し、「我楽多文庫」という雑誌を刊行します。
日本の伝統的な価値観、世界観を尾崎紅葉の天才的なセンスで写実的に描きぬいた作品を発表し作家として認められた後も、『多情多恨』『金色夜叉』といったベストセラーで人気はさらに高まっていきました。
ところが、幸田露伴と共に明治の文学界に大きな影響力を持ち、「紅露時代」と称されるなど、日本文学史上に大きな功績を残した大文豪・尾崎紅葉の人生は胃がんによって幕を閉じます。
享年37歳でした。
幸田露伴の代表作
先述したように、幸田露伴は「時代の顔」と言っていいほどのベストセラー作家。
代表作を選ぶのも難しいほどに彼の作品群は素晴らしいものですが、ここではこの記事を読んで「尾崎紅葉の小説を読んでみたい!」と思ってくれた人に向けておすすめを選んでみました。
いずれも手に入りやすく、また現代でもよく読まれている作品です。
『多情多恨』
リアルな恋愛をテーマにした小説です。
妻をなくした教授・鷲見(すみ)が、同居した親友の妻に惹かれるという設定。
妻を亡くした心の傷が癒え、新たな女性に心惹かれる過程の描写が高く評価されています。
現代小説に多いドラマチックな展開ではなく、実際に起こりそうな出来事をテーマにしているので退屈しそうに思うかもしれませんが、地の分の描写力こそ尾崎紅葉の特徴でもあります。
『金色夜叉』
熱海の貫一、お宮の像でよく知られる『金色夜叉』。
連載当初から大人気になり、明治以降も映画化、ドラマ化を繰り返している名作です。
それほどまでになじみ深い『金色夜叉』とはどういった話なのでしょうか。
親に先立たれた貫一は、引き取られた先の鴨沢家の娘、お宮と結婚する予定でした。
しかし、かるた会で富山銀行の跡取り息子・富山唯継に見初められたお宮は、お金に目がくらみ、富山家に嫁ぎます。
お宮に裏切られた貫一は人を信じられなくなり、高利貸しとして生きていくようになります。(題名の「金色夜叉」とは、恐らく金に魂を売り、鬼となった貫一のことを指しています。)
裏切ったお宮も、その後破滅の道をたどります。
この作品には、後々まで語り継がれる名場面があります。
熱海でお宮と貫一が邂逅する場面です。
貫一を捨てた言い訳を聞かされ、お宮への恨みの言葉を述べて蹴り飛ばし、貫一は去ります。
お宮は後に後悔し、貫一に詫びますが、一度裏切られた貫一はお宮を拒絶します。
その後貫一は夢を見ます。
お宮が貫一に詫びながら、自身の喉を刺し、命を絶つ夢です。
そして貫一は、ただ夢の中のみでお宮を許すのです。
この『金色夜叉』は、尾崎紅葉の最後の作品です。
この作品を執筆途中に胃がんで没したからです。
しかし尾崎紅葉が最後に書き残したこの『金色夜叉』は、未完にも関わらず、現代の僕らにもお宮と貫一の悲劇を伝え続けています。
共に「紅露時代」を築いた幸田露伴との関係
『多情多恨』『金色夜叉』など、数々ベストセラーを世に放った尾崎紅葉。
『五重塔』で知られる幸田露伴。
彼らは同じ時代に生き、一つの偉大な時代を作りました。
それがいわゆる「紅露時代」です。
彼らは当時を代表する作家だったという点では変わりませんが、文学作家としては大きくスタンスが違います。
幸田露伴は漢文のような格調高い文体で理想主義を貫きました。
それに対して、尾崎紅葉は読みやすい文体で会話文も多く、人間の心理を情緒豊かに描き上げました。(まあ『金色夜叉』などは古文みたいな文章ですが...)
この対極的な二人が同時代に活躍した「紅露時代」は、やっぱり凄いですね。
当時、リアルタイムで小説を読んでいた人達は本当に幸せ者ですね。
まとめ
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
尾崎紅葉という人物の素晴らしさが伝わっていたらいいのですが・・・
まとめると
尾崎紅葉とは
- 『多情多恨』『金色夜叉』を書いたベストセラー作家
- 幸田露伴と共に「紅露時代」を築いた
- 人間の心理描写を、近代的な手法で描くことに成功した作家
です。
皆さんもぜひ読んでみてください。